当寺は町内の中央に位置し、
646年(大化二年)法道仙人が和田寺山頂上に一宇の堂を建立開基された。
820年(弘仁十一年)京都妙法院末となり、以後数拾の堂宇が建ち繁栄したが、
1184年(寿永三年、元暦元年)2月兵火に羅り悉く焼失、
翌年の文治元年、播州清水寺二摎撓「和尚が再建する。
その後山頂で伽藍護持が困難となり、
1389年(康応元年)8月僧良海が 伽藍を山頂より和田谷(現在地)に移し、本堂を再建、
1392年(明徳三年)寺号を改称しこれより二老山和田寺と称す。
その後再度の兵火に羅るが、
永正の頃足利義澄公伽藍修理、田園の寄進を受け、
又永禄年中に丹波国主波多野秀治公世々祈願所とせられ、
寺禄を付して公費を免除される。
天正20年9月には、豊臣秀吉公境内山林地を永代寄進、
江戸元和年中、御水尾禅定法皇御愛宕新広義門院が祈願所として
弥陀三尊像、不動明王像等の仏像や十六善神画像等を寄進されるなど
世々代々武将、皇族の擁護を受け、
又江戸中期以後歴代住職、小野原住民他近隣の檀信徒等 力を合せ維持してきたが、
次第に堂宇減少、旧跡地は山林と化し、
現在の本堂、庫裡等を残すのみとなるが、中世古文書仏像等多数保存。 |